2013年8月12日

ノートをキレイにとって授業をマジメに聞く

周回遅れエンジニアは小学生の時にほとんどノートを取っていませんでした。
理由はよく覚えていませんが、
・とり方がわからなかった
・とる意味がわからなかた
・とらなくてもなんとかなった
だった気がします。
それでも高学年の時にはとっていたとは思いますが、黒板に書かれたものをすべて書き写すといった事はしていませんでした。
中学生の頃からは、どういう変化かわかりませんが、ノートをとっていたように思います。

それでもきれいにノートを取るのはいまでも苦手です。
「頭のいい人はノートがキレイ!」とか言われると、
真ではない命題とは思いますが、「ノートがキレイでない人は、頭がよくない」のかと考えてしまいます。


ノートを取る意味とは何でしょうか?
周回遅れエンジニアは2つと考えました。
・記録スペース
・作業スペース

記録スペースとしてのノートは一般的なノートの機能だと思います。
授業の黒板に書かれたことを残すこともこれに当たるでしょう。
残すことが目的なので、後で読み返した時にわかるようにしておくといった事も大事です。

作業スペースについては、例えば計算をする際すべて暗算ですることができません。
そのための一時記憶として使用します。ノートに残す事ですべて頭の中で行う必要が無くなります。
思考の際も、ノートに一時的に残しておくことで整理しながら考えることができます。
この場合はキレイに書くことは整理することには役立ちますが、そこまで重要ではありません。


ノートを使用する目的は場合によって異なるので、必ずしもキレイにとる必要はない、ということです。


キレイに書けるということは、整理して表現できる、ということなので、頭の良し悪しとは必ずしも関係ないでしょうね。
わかりやすく、整理して表現できる人は頭の良い人である事は多いかもしれませんが。



周回遅れエンジニアは授業中ノートを真面目に取っていませんでした。
授業を聞いていない事もありました。

ゆえに優秀な生徒ではなかったのかもしれません。

では、聞いていない時に何をしていたか。

その教科の中で、好きな事をしていました。

国語の授業だったら、別の話を読んでいたり、
算数だと問題をやっていたり、先にすすんだり。

中学・高校へと進むにつれて、好きなことをやっていられるほど余裕はなくなりましたが、
一番得意な科目はやっぱり基本的には好きなことをやっていました。
(もちろん、先生の話が面白い時はそちらを聞きます)


授業で大事なことは、話を聞くことでもなく、記録を残す事でもありません。
(記録を残すのならビデオで残したり、黒板の内容をデジカメで撮ればいいのです。)

記録じゃなくて、作業することで、「体験」することなのかな、と。
頭と体を動かすことで、ただ見るだけより記憶に残りますし、頭だって使います。
逆に写すだけで精いっぱいだったら、書いてあることの意味を考える暇もないのかもしれません。

見ただけでわかるほど天才じゃないのなら、
あの手この手で自分の中に入れてみる、ということをやってようやく身に付くものなのかもしれませんね。